
2012年12月6日、精華寮へ行く。これで4度目の訪問になる。ここは拓殖大學との関係が深い。

日清戦争(1894年~1895年)後、日本の統治下にあった台湾。

1900年、台湾開発する人材育成の為、台湾協会学校創立(後の拓殖大學)。1901年、現在の文京区に移転。

1912年、高砂寮(留学生寮)完成。たぶんこれが精華寮の前身。高砂寮は1923年の関東大震災でブッ壊れたんじゃないかな思う。

それで1927年、精華寮建設となるんだとおもいます。そうなると自分の中でつじつまが合うと言うか都合がいい。

関東大震災後、耐震基準が定められる。精華寮は、これまでの煉瓦造り(倒壊、火災で暖炉みたいになる)や木造住宅(すぐ焼ける)では無く、当時まだ珍しい鉄筋コンクリート製なのは耐震性に優れてるからであろう。

1939年第二次世界大戦勃発。1941年から日本対米英。1945年終戦。敗戦に伴い台湾総督府(台湾を統治するための官庁)廃止。精華寮の所有者がウヤムヤになる。

以上、間違ってたらすみません。
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